「わたし何のために生きてるんだろう」
「このまま生きてても特別いいこと起きなそうだし」
「いっそ生きるの終わりになったらいいのに」
ときどきそんな考えが浮かぶのは、きっとわたしだけではないはず。
もっと自分らしい生活を手に入れたい、今より良くなるように頑張りたいと思いながら日常でもがいているすきまで、ふとネガティブにおちいることがあります。
うまくいかないこと・思い通りにならないことが続くときにはそんなマイナスな考えで頭がいっぱいになることも。
そんな考えを逆から見てみる視点をくれたのが、『フォルトゥナの瞳 』でした。
あわせてどうぞ!
- 大事な人がいつ死ぬかなんか絶対に知りたくない
- 残り時間は分からなくても、結末まで決まっている人生を送るのはイヤだ
- 直観力を鍛えて最高の判断ができる自分になりたい
- 自分の時間の使い方や生き方、もう少しちゃんと考えよう
大事な人がいつ死ぬかなんか絶対に知りたくない
きっかけは、映画『フォルトゥナの瞳』では神木隆之介君が演じる木山慎一郎が、会話を反芻して考えるシーンの文章。
――大事な人がいつ死ぬかなんか絶対に知りたくない。
たしかにそうだ。病気などの理由もなしに、ある日、愛する人がまもなく死ぬとわかれば、気が狂いそうになるだろう。人は自分のことも含めて未来がわからないからこそ、生きていけるのだ。
『フォルトゥナの瞳』59ページより
なるほど、と思わされました。
人生の残り時間が分かっていた方が生きやすいのでは?
最近のわたしは、未来が見えなくて思い悩むことが続いて。
誰かが「あなたは1年後に〇〇になりますよ」「あなたに向いているのは〇〇だからこれをしなさい」みたいに、未来を教えてくれればこんなに悩まなくて済むのになと思っていました。
小説『フォルトゥナの瞳』の中で、慎一郎は死期が近い人が分かる能力を手に入れます。
自分がいつ死ぬか分かっていたら、もっと毎日へのモチベーションが高まると思う。
何歳まで生きるかによって、老後のお金をいくら用意すれば分かっていいな。
もし残された時間があと僅かだったら、知らせてくれたら後悔なく過ごせるな。
わたしはそんな風に考えました。
実際は、わたしたちは自分自信はもちろん、友人や家族もいつまで生きるか分からないまま暮らしています。
分からないから、いつまででも会おうと思えば会える気がしています。
あの時が最後だって分かっていたら、もっと違った行動をしたのにという後悔もあるでしょう。
人生の残り時間を把握しながら過ごした方が、毎日を無駄にせずに後悔しないように一生懸命過ごせるのではないでしょうか。
でも確かに、大切な人の人生の残り時間は知りたくない
一方で、主人公の慎一郎のように自分だけに周囲の人の人生の残り時間がわずかであることが分かったら実際はかなり苦しいだろうな、と想像します。
病気で余命宣告をされる家族などの状況にあてはまりますが、残りがあとわずかしかない中で、この人に何をしてあげられるだろうかと考えながら1日1日を過ごしていく時間は苦しいものです。
人生の残り時間なんてわからないままいつもと同じように過ごしていけるのは、幸せなことなんでしょう。
残り時間は分からなくても、結末まで決まっている人生を送るのはイヤだ
小説の中で、慎一郎は人の死期や人生は決まっているのか?と考えます。
はたして彼の運命は最初から決まっていたのだろうか。だとすれば、人生はフィルムに焼き付けられた映画みたいに、あらかじめ結末まで決められているものなのだろうか。人間はそれを初めて観る観客のように、次に何か起こるかわからずにハラハラどきどきしているだけなのか。
『フォルトゥナの瞳』108ページ
毎日の9000回の選択のしかたで、人の人生は思う方向に変えられるはず!
映画のように決まったストーリーがただ起こっていくだけの人生だとしたら、なんてつまらないんだろうって思いました。
人は1日だいたい9000回もの選択をしているそうです。
選ぶ場面のたびにひたすら「昨日と同じ」を選んでいけば、人生に大きな変化が起きることはなく、同じような毎日が続いて、ストーリーや終わりが想像できる人生になるでしょう。
今に大満足しているという状態ではない人がほとんどだと思うので、「一生今とほとんど同じ生活が続く」と考えると、それはとても残念だという気持ちになる人が多いと思います。わたしも同じです。
人生を変えるには、よりよい道を選び取っていかなくちゃ
毎日の9000回の選択がすべて2択だったとしたら、どちらを選んでいくかによって1日の過ごし方は2の9000乗のルートがあるはず。
計算しようと思ったけれど、ものすごい大きな数すぎて計算できません。
実際、毎日の選択肢は二択では済みません。
たとえば、ランチに何を食べるか。
お弁当を持っていくか、コンビニで買うか、それともお店に食べに行くか。
食べない、という選択肢だって考えられます。
そういう無数の選択を続けていくことで今日の自分・今の自分がつくられているんだなぁって思うと、気が遠くなる感覚が。
逆に、自分にとってプラスになる選択をひたすら続けていけば、想像もできないようなすごい場所までいけるんじゃないか?とも思えてわくわく感もあります^^
直観力を鍛えて最高の判断ができる自分になりたい
毎日大きなものから小さなものまで9000回もの選択をしているわたしたちにとって、よりよい選択をするには短時間で最高の決断をする力が必要です。
メンタリストDaiGoさんの『直観力』では、直観力は鍛えられるし、過去の経験から脳が瞬時に判断するものなので約90%も的中するそう。
直観力による判断は“なんとなく”。
でもその“なんとなく”は、最強の先読みする能力。
直観力を高めて自分が納得できる毎日を過ごしていくこと。
それを続けること。
そうすることでしか、自分の人生を納得するものにすることはできないんじゃないかな、と考えました。
自分の時間の使い方や生き方、もう少しちゃんと考えよう
そもそも、この『フォルトゥナの瞳 』を読んだのは、
と、映画での出演者がきっかけ。
最近、将来にたいして不安な気持ちが強くなっていたので、自分の時間の使い方についても考えられるきっかけとなりました。
原作の雰囲気がとてもすてきだし、映画がどんな風に仕上がっているのかもとても楽しみです。
映画は2月15日から公開なので、ぜひ観にいこうと思っています。
興味をもたれた方は、原作を読むこと・映画を観ることを検討してみてはいかがでしょうか^^