6月29日にNHKで放送された『SONGS』に初出演した嵐。
走り続けた20年と明日への決意を込めた曲としてたくさんの楽曲の中からメンバーが3曲を選んで披露されました。
華々しいデビューを果たすも、思うように認知度が上がらず苦しんだ日々。
その頃の想いをメンバー一人ずつが語り、思い出の曲として「Love so sweet」を披露しました。
急に大きくなってしまったグループについていくのが必死だった思いが語られました。
- メンバー5人で楽しんでいた遊び場が、国立競技場・ドームになった
- メンバー自身が大きくなる嵐についていけず不安で怖かった
- 不安も恐怖も一緒に乗り越えてきたから、嵐はLove so sweetのような優しい包み込むようなグループに
▼嵐のSONGSの記事
メンバー5人で楽しんでいた遊び場が、国立競技場・ドームになった
レコード会社を移籍し、櫻井翔君のラップを取り入れるなどして徐々に認知度が上がってきた嵐。
大ブレイクのきっかけになったのは、松本潤君が出演したドラマ・花より男子でした。
櫻井くんは、嵐というグループを「内側向いて5人がちっちゃいことでけらけらわらってる」と表現。
たしかに嵐ってスーパーアイドルだけど、どこかで距離が近い感じもして。
クラスの中心メンバーではなく、教室の隅で数人の仲間だけでウェイウェイしてる男子高校生みたいな感じしますよね。
二宮くんも、「自分たちで遊びつくしたからこそ今度はみんなと一緒に共有しようっていうのが我々のやり方」と話していました。
メンバーだけで小さく遊んでいたのが、徐々に注目されていって、遊び場がだんだんだんだん広くなって、ついに国立競技場とか東京ドームの真ん中で遊ぶようになった。それが嵐なんですね。
だからコンサートでのMCでも、部屋のリビングで話しているようなゆるくあったかい空気が流れるのか、と理由が分かった気がしました。
メンバー自身が大きくなる嵐についていけず不安で怖かった
「花より男子」頃から急に注目度が上がった嵐。急激に周りの景色が変わりました。
あまりの変化の大きさに、ついていけなかった・怖かったという想いをメンバーが語りました。
相葉くんは、「自分が嵐の中にいた感覚だったのに、めちゃくちゃ大きくて前に離れていく体感があってこわかった」と当時を振り返りました。
大野君も、「町中に自分の顔がいっぱいあって、理解できない・リンクしないまま仕事をしていた」と話しました。
本人たちは同じことをしていただけなのに「嵐」というグループに対する周りの目はどんどん変わっていく。その感覚って、恐怖なんですね。この辺が嵐の「近所のお兄ちゃん感」なんでしょうか。
変わっていくのがこわかったからこそ、コンサートでも継続することやキープの重要性を求めたんでしょう。
松本潤君が演出を手掛ける嵐のコンサートは演出自体は毎回斬新で新しいけれど、使う曲や雰囲気は大きく変わらないというのも、今思えば嵐メンバーの恐怖の表れだったんですね。
それをLove so sweetの中にでてくる二重否定の歌詞のように「開けない夜はないよ」=「開ける夜が必ずある」と信じ、自分を強く持って不安と戦ってきた5人。
外から見てたらただただキラキラして楽しそうな嵐メンバーが、陰でそういう想いをもっていたなんて1ミリも見えませんでした。
ただ当時、学校で生徒たちも自己紹介では「好きな芸能人は、嵐の〇〇くんです」ってみーんな言ってたんです。それってすごいですよね。
不安も恐怖も一緒に乗り越えてきたから、嵐はLove so sweetのような優しい包み込むようなグループに
国民的アイドルになって来たころを象徴する曲としてメンバーが選んだのが『Love so sweet』。
この曲をメンバーは次のように解説。
- 嵐っていうパーソナルな部分が認知されるきっかけになった(二宮)
- どのコンサートでも肝になるところに自然と配置されていった曲(松本)
- 優しい包み込むような印象の楽曲(大野)
大変な時期の不安や恐怖も一緒に乗り越えて20年一緒にやってきたからこそ、嵐は相葉さんが言ったように暖かい場所になったんでしょうね。
わたしにとってLove so sweetはコンサートではイントロがかかるだけで「わぁぁ♡」って高まる曲なんですが、今度からはその裏にあった嵐の不安や恐怖も一緒におもってしまって、より暖かさが際立って聞こえそうです。
以上、国民的になったころの嵐のお話でした!
▼いっしょに読みたい嵐のSONGSの記事