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なぜ近松門左衛門は「東洋のシェイクスピア」と呼ばれているのか?

近松門左衛門が、「東洋のシェイクスピアと呼ばれいていることを知ってますか。

 

シェイクスピアは知ってるけど、近松門左衛門ってどんな人?

シェイクスピアぐらいすごいの?

 

いまいちピンとこない人も多いでしょう。

近松門左衛門という名前を、歴史の教科書ぶりに見た方も多いかもしれません。

 

人形浄瑠璃の人だよね 昔覚えた!

  

この近松門左衛門を、

が演じます。

 

わたしも「近松門左衛門といえば人形浄瑠璃!」くらいの知識しかなかったのですが、舞台をきっかけに興味をもち、いろいろ調べてみました。

 

「東洋のシェイクスピア」と言われているだけあって、調べれば調べるほど興味深い人であることが分かってきました。

 

東洋のシェイクスピア近松門左衛門の魅力、お伝えしていきます!

 

 

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近松門左衛門とは?

はじめに、近松門左衛門についてかんたんにご紹介します。

 

近松門左衛門は、江戸時代に大人気だった劇作家です。

本名は、杉森信盛。

 

今、わたしたちがテレビや映画を観るように、江戸時代の人たちは歌舞伎や人形浄瑠璃を観に行くことを楽しみにしていました。

 

 

人形浄瑠璃は、文楽とも呼ばれる伝統文化で、三味線の伴奏に合わせて人形遣いが見せる人形劇のことです。

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近松門左衛門は、10代半ばで浄瑠璃にハマります。

 

浄瑠璃を語る宇治賀太夫と親しくなり、台本作りを手伝わせてもらうように。

 

そのうちに、一人で台本作りを任されるようになり、72歳で亡くなるまでに、浄瑠璃と歌舞伎の台本を150以上も書きました。

 

近松門左衛門の代表作

100以上の浄瑠璃作品を書いた近松門左衛門

 

作品の内訳は、

  • 世話物(町人が主人公)・・・24作品
  • 時代物(武士や貴族が主人公)・・・24作以外すべて

 

曾根崎心中(そねざきしんじゅう)

町人で醤油屋の徳兵衛と、遊女お初が主人公。

愛し合っているのに結ばれない運命の二人が、曾根崎の森で心中してしまう物語。

実際にあった事件をモチーフにしています。

 

冥途の飛脚(めいどのひきゃく)

飛脚問屋の忠兵衛が遊女と恋に落ちる物語。

お店のお金をつかって遊女を身受けしてしまうが、すぐにばれ、追われる身になってしまう。

昔から、職場のお金を横領しちゃう人っていたんだね

 

国姓爺合戦(こくせんやかっせん) 

中国・清と明の戦いで活躍した国姓爺が主人公。

国姓爺は、父が明・母が日本人のハーフ。

そんな国姓爺が明を立て直すお話。

 

 

近松門左衛門すごさ 1 台本に作者名を「署名」 劇作家を表舞台に

 

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江田剛君の近松門左衛門(のべつまくなし)

日本で台本に作者の名前を堂々と書き、書名するようになったのは近松門左衛門が初めてだと言われています。

 

それまで、劇作家は裏方の存在。

舞台に上がる役者や三味線弾きよりも給料も少なく、舞台の小道具の準備なども手伝うのが当たり前でした。

 

お給料は、台本ごとにいくらもらえるという制度ではなく、完全に歩合制。

公演が人気ならロングランされますが、そうでなければすぐに打ち切り。

新しい台本をかかなければなりませんでした。

 

そうした中で、「近松門左衛門の書く話ならおもしろいはず!」と、劇作家の名前で集客ができるほどの人気作家になった近松

 

演劇の世界で裏方だった作家の立場をよくした人なんです。

 

 

近松門左衛門すごさ 2 人の心情を細やかに描くストーリーで浄瑠璃の常識を変えた

当時、浄瑠璃は貴族や武士を主人公にした話がメインでした。

 

しかし、浄瑠璃を見るのは町人。身分の高い武士や貴族が活躍するストーリーよりも、自分たちの身近な話題のほうが興味をもつのは当たり前です。

 

そこで近松は、町人を主人公にした台本を書きました。

人形浄瑠璃では難しいとされていた、人の心の動きを細やかに、リアルに描く作品をつくりました。

 

その最初の作品は有名な「曾根崎心中」

 

町の中で実際に起きた事件をモチーフにし、二人の恋する気持ちや、一緒になりたいと願う強い想い、心中するときの心の動きを細やかに描いて、人々の共感を得る作品となり大ヒット。

 

人々の心の動きをリアルに描いたところが、「東洋のシェイクスピアともいわれる所以でしょう。

 

 

台本も、人形浄瑠璃は5段と長時間の公演が当たり前でしたが、短い作品を作ることで人々が気軽に足を運びやすいようにしました。

 

また、舞台の演出もあえて人形遣いが目立つようにしたり、人形のつくりを変えたりと、それまでの常識をどんどん変えていきました。

 

 

何事にも当てはまることですが、同じことを続けているだけでは衰退していってしまいますよね。

 

時代時代にあわせて、よいものを取り入れたり、古いものをやめたり。それを当然のことのように行い、人形浄瑠璃を流行らせることができたのが近松門左衛門のすごさです。

 

 

近松門左衛門すごさ 3 江戸時代に自分の「やりたい!」を貫いた

 

実は、近松門左衛門は、武家の出身なんです。

 

当時は士農工商身分制度があり、町民は身分が低いとされていました。

 

そういう社会のなかでも、自分のやりたいことである劇作家への道を進むために、近松は30代で家を出ます。

 

そのまま武士としての人生を歩むことが自然な時代だったでしょう。

 

若い頃公家で仕事をしていた時期もあったので、そこで気に入られて位をいただくこともできたはずです。

 

 

武家出身の近松にとって、劇作家として暮らすことは決して楽な道ではなかったはずです。

売れない時代には、自分の書きたい作品と求められている作品のズレに苦しんだこともあったでしょう。

 

 

そんな中、劇作家という生き方を貫き、名前を残した近松門左衛門

 

人形浄瑠璃への愛情や、台本を書くことへの執念、自分の思いを貫いた強さが、300年経った今も残る作品となり、歌舞伎や人形浄瑠璃で演じられているのです。

 

 

近松門左衛門は日本演劇史上、最高で最大の劇作家

「東洋のシェイクスピア」ともいわれる近松門左衛門は、日本演劇史を大きく変えた劇作家です。

 

歴史の教科書に元禄文化の一例として井原西鶴松尾芭蕉菱川師宣らとともに名前を連ねているだけの存在だった近松門左衛門。見方がこれまでとは大きく変わったのは、言うまでもありません。

 

言葉が多少変わっても、人の心の動きは江戸時代から変わっていません。

 

 

古くからある作品を、今生きているわたしたちも十分に楽しめる形にして残してくれた人が近松門左衛門

 

業績に感謝しつつ、古典の世界を味わってみたいですね。

 

 

近松門左衛門に興味をもたれた方は、 『ストーリーで楽しむ文楽・歌舞伎物語 (4) 曽根崎心中』を読んでみることをおすすめします。

子供向けの本ですが、近松門左衛門の生き方や、曾根崎心中がどのような想いで書かれたのかを非常に分かりやすく書かれています。

 

さらに深く知りたいという方は、 9月に浜中文一くん・江田剛君が出演する舞台「THE BLANK!~近松門左衛門空白の十年~」の元となっている『口伝解禁 近松門左衛門の真実』も読んでみることをおすすめします。↓

 以上、なぜ近松門左衛門は「東洋とシェイクスピア」と呼ばれているのかを、近松のすごい点を挙げながらのご紹介でした。